東街道をのぼる/石垣政裕理事 2009/4/14掲載 |
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やはり出発は古本屋に限る。・・・たはっ。私だけか。鈎取の萬葉堂書店鈎取店は郷土史関連の本も沢山おいてある。許可を得て地階に下りていけば、背表紙を解釈するだけでも目眩がするほどの古本が鎮座ましましている。まずはその臭いも慣れなければいけない。
できれば、郷土史関係の本に目を通すのもいい。花は古木に限る。かならずその裏側に歴史が見えるのである。 |
古本屋から旧秋保街道をホンの少し東に行けば、旧街道がTの字に交差する角に実にいいさくらがある。
ここから南に向かって下がっていくと今はイオンの駐車場に裏側から入る入り口になっているところが、秋保電鉄が通っていたところである。口の中に砂がざりっと入ったような子どもの頃の記憶がある。この入り口のとこから太白団地の方に向かって右にカーブして行くのである。いまだにその軌道跡がそれとなくわかる。大正3年、仙台周辺ではよく使われていた秋保の石を運び、帰りに温泉客も運んだ馬車軌道が開設された。大正11年には電気軌道が走る。宮城県の公文書に当時の申請書類が残っており、土木工事の図面には彩色された橋桁やトンネルの構造が描かれており、実に趣がある。 |
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そこから更に道なりに南下すると栗木橋に出る。近くに頭首工(用水に水を引きいれるための堰)があるので川面にはいつもより少ないような気もするが、雪解けの水をたたえている。秋保のから材木をおとし、ここから木流し堀で長町から広瀬川に流して仙台の城下へ木材を供給したのだろう。 |
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東街道は都から国府多賀城へ通じる道。山沿いを愛島、高舘から西多賀(鈎取)そして大年寺の麓から国分寺へ抜ける。今の旧4号線沿いの道は江戸時代になってできたので、それ以前の道であり、ここは渡し場のあったところである。
渡し船に乗ったつもりで橋を渡って左へ曲がり、無粋なゴルフ場とモーテルをやり過ごせばまたT字路に出る。ここにもいい枝垂れ桜。
「おやぁこんなところに。」と思わせるところが桜の生き甲斐というか、務めというか・・・。わたしたちも「驚き桃の木桜の木」ぐらいのお世辞を言って、楽しんであげなけりゃ。相身互いというではありませんか。こういうところは車でスピードを出して通り過ぎるなど無粋なことをしてはいけないのです。 |
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少し東へ歩けば洗車場の後ろに、たぶん誰も手をかけないから蔦に絡まれてしまってはいるが見事な桜がある。「おいおい、そんなに惨めな表情をしなくてもいいだろう。せっかくきれいに咲いたのに。」とやさしく声をかけてやろう。桜は会話も楽しむべきだ。桜は「こうなったのも、前世からのお定めとおのれに言い聞かせ、車を洗う洗剤の霧にけぶっても、この短い春にこそ、少しでもあなたさまのお目にかかれればと、待ち望んでおりました。兄さんのやさしいお言葉で、もう散はてても悔いはございません。せめて最期の慰みに、名前をお聞かせ下さいな。」と言うかも知れません。そうしたら「なあに、名乗る者でもございやせん。春の陽気に誘われた通りすがりの戯言と、そうぞ姉さん、笑ってながしておくんなせぇ。(頭をさげ、上げかげんで)どうぞお達者で。来年またお会いいたしやしょう。」
ただし、これは絶対に声を出してやってはいけません。 |
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さて、いよいよ熊野堂神社。ここの鳥居の前にずらりと並んだ桜は賑やかです。
どこからかピーヒャラリと笛の音とともに衣かつぎをかぶった女性が近づいてくるかもしれない。ここから先は山裾を愛島に抜ければ見事な竹藪などが見えます。道路が拡張され、通り過ぎるだけの風景になってしまうのは実に惜しい道なのです。
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