片平は歴史のまち 古地図を片手にあるくのもよし/石垣政裕理事 2009/4/17掲載
   地名は地形からくるもの、動植物からくるもの、建物や史跡によるもの、住んでいた人物から来るものなどいろいろなのです。
 そこでっ!地図屋さんで復刻版の地図を手に入れたり、古本屋や図書館で探したりして古い地図を手がかりに歩くのも、また乙なものです。ついでに菊池勝之助著「仙台地名考」や佐々久「仙台散策−歴史と文学をたずねて」なども前の晩にちらちらと見ておきましょう。そのときには、椅子を窓側にくるりと向けワンカップの栓を抜きながら、「ギヤマンでジパングの酒でもいただきましょう」と優雅に構えるところが味噌です。栓を抜いてすぐにコップの位置を固定し、こぼれようとする液体に口を近づけてはいけません。

 さて、準備が整ったら市バスに乗り大町西公園前で下りましょう。以前であれば交番前をさっと抜けて、「それっ!いい場所を」と西公園に駆け込むのですが、今は地下鉄の工事中なので、わざと向かい側の医師会館の方へ回り込みます。このあたりも、(支倉丁から南町通まで)江戸時代は片平丁と言われたらしく、幕末になって今の片平丁が片平丁(大名小路)と呼ばれるようになったようです。この辺りは名前の通り、昔、大名の屋敷がぞろりと並んでいたらしく、その意味で形のいい桜が観られるのです。
 西公園の交番の向かい側の一区画はちいさなな小路が回り込むことができますが、この小路の外側が裁判所の官舎になっています。明治の頃の地図では「控訴院官舎」と書かれています。

 ここから十数メートルほど南に行くとちょうど角の処にマンションを背景にして見事な桜がある。「危ないから入らないようにしましょう」の看板が子どもの絵。この時期は「酔っても入らないようにしましょう」と書いた方がいいかもしれない。危ない。ここの敷地は正保二年の地図では「職人屋敷」と書いてあり、向かい側が茂庭周防、古内源太郎などという有名な侍屋敷なのです。ちなみに神社はありませんでした。明治になると神宮が現れてきます。
 片平消防署を右に折れていくと、ここは「歴史通り」です。片平丁は右側が断崖でお城を眺望するところから名前が付いたようで、何しろ大名屋敷がずらりと並んでいたわけですから桜だけでなく風格のある木があります。ただし、当時のものかどうかはわかりません。明治時代から現在まで裁判所の敷地になっているが、山本周五郎の小説「樅の木は残った」の原田甲斐の屋敷もこの辺りである。
 広瀬川が大きくカーブしているしているので眺めがいい。崖の途中に桜がしがみついているのを見るのも楽しい。「安閑と平地に生きているだけが桜じゃねぇや。こっちもみてくれ、よっ姉さん!このあっしの枝振り」と言っているようである。
 片平小学校の敷地は明治の30年中頃の地図には小学校と仙台市商業学校と書いてあるのですが現仙台商業高校(明治29年開設)なのでしょうか。片平丁小学校は東京新宿中村屋を創業した相馬黒光女史が明治19年に卒業している。通用門の信号のところに窮屈そうな桜が見える。
 
 柳町に通じる袋丁をすぎると放送大学学習センターのところは明治時代に宮城監獄があったところで、その広瀬川側に中国の文豪魯迅(ろじん)が明治37年(1904)年9月に仙台医学専門学校(現:東北大学医学部。現在の東北大学片平キャンパス敷地内にあった。)に入学した当時住んでいた下宿あとがある。魯迅の小説「藤野先生」には、仙台での食事について1箇所だけ触れているところがある。この下宿は、向い側の監獄のまかないもやっていたので食事も悪くなかったらしいが、監獄の向かいだということで他の下宿に移ることになった。「監獄からは遠くなつたが、お蔭で喉へ通らぬ芋がらの汁を毎日吸わせられた。」とある。仙台の人ならこの芋がらの汁は、「ああカラドリの味噌汁かな」と見当が付き、「喉へ通らぬ」ということが実感としてわかる。このカラドリは食料の少ない冬をすごす東北に生きる人々の現実を描き出していると穿って見ることもできる。太宰治はここを魯迅の仙台時代を描いた小説「惜別」で『ととろ汁』にしてしまっている。きっと太宰は東北にありながら「カラドリの味噌汁」などは食べたことがなかったのかも知れないなどと歩きながら考えてみたりする。
 少し南下すると右手に片平市民センターと河岸の公園があり、ゆったりと広瀬川の景色を味わうことができる。ここは明治時代に監獄作業所と記されていて、その後旧制二高の運動場などになり、昭和24の地図には大学の農学研究所があった。 
 
  そこから、東北大学片平キャンパスの見事な桜をみたら、東北大学の史料館を見てみよう。この片平あたりの明治からの歴史を見ることができるのですが、実はこの建物こそ資料であり、桜の花がよく似合う建物だと思う。
 少し元気があるなら、バス通りに添って大学正門から広瀬川の方へ鍛冶屋前を下り、霊屋橋(おたまやばし)を渡って評定河原のグランドに出よう。所々に若いが華やかなサクラが観られます。いや、桜が野球などの試合を見ているといった方がいいと思います。
 このあたりの変遷も面白いのだが、何しろ一回り小一時間ほどのコース。昨夜のワンカップでは燃料が足りなくなり、にわか郷土史案内人も口を休めることになりました。あとはどうぞみなさまで。

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