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執筆■鈴木美紀子  2008/9/2up
季節を感じる
 「今日は星が見える?」
 ずいぶん前の話になりますが、その問いに答えられなかったことを今でも覚えています。夜空の下を歩いて来たはずなのに、帰る前にそう問われて、はたと空を見上げてからやっと「ああ、見えますね」。思い返せばなんとマヌケなことかと苦笑してしまいます。それくらいに、周りを見ていなかったのですね。季節ごとに変わる空の色、雲の形、星や草花を。

「季節があいまいになってきた」
と、言う人が増えました。数年前と気候が変わったと認識している方も多いでしょう。ストーブをたかなければ過ごせないほど寒かった仙台の梅雨も、数年前からストーブの活躍はなくなりました。昔は仙台の梅雨は寒くて寒くて、とこの話をすると、ここ最近仙台にやってきた人たちには大変驚かれます。
「季節がなくなってしまうのかしら」
そんな不安な声はよく聞いた、と過去形の表現になってしまいました。
「今は季節がないから」
近頃はこう表現する声が多いように思います。

  日本人の作曲家が書き残したピアノ連弾曲で、四季をテーマにした曲があります。
 始まりは春。強い春風が吹き、そして桜が咲いて。5月は初夏の日差しに爽やかな風が吹き。しとしと降り出した雨がやがてじめじめと湿気を増して暗く肌寒い憂鬱な梅雨に。雨が晴れ、暑さが増して、初夏からギラギラと太陽が照りつける猛暑へ。残暑を過ぎて涼しくなった初秋、どこか物悲しい秋の夕暮れ。冬にはしんしんと雪が降り積もり、生き物達が息をひそめる銀世界、その季節を越えて雪解けの後に待ちに待った春がやってくる。
 1年の四季の情景を描いた6つの曲で構成される大曲です。季節によっては明確なメロディーがないため難しい曲でもあります。「ああ、これこれ。梅雨はこのうっとうしい感じ」とイメージしながら弾くわけですが、これを今の子どもたちに弾かせたら、どう弾いたらよいか戸惑い、先生もまた指導に困るのでしょうね。
 この曲を弾くたびに、昔はこんな季節があったのに、今ではまさにこの曲のような季節が本当になくなってしまったのだなと実感します。
 
 同時に、季節を実感しながら暮らすことが、そもそも薄れてきたのかとも感じます。
 ここ1〜2年、着物を着るようになって洋服との季節に対する意識の差に驚きました。夏に入る少し前から薄い色を、夏が終わる頃から少し濃い色の着物を着る。着物の色と半衿の色で季節を表現する…着物の柄はもちろん小物も季節をとても意識します。どんな組み合わせにしようか考えるのがまた楽しいのですが、洋服では考えもしないことですね。

 季節を楽しみながら、暑いなら涼しく過ごす工夫を、寒いなら暖かく過ごす工夫をしてきた日本人。その知恵を「エコ」として、さまざまな雑誌や冊子類で取り上げることも増えました。
 そういえば、お弁当に関する”知恵”を知らない人がいて驚いた覚えがあります。夏なら傷みにくいように梅干を入れる、お弁当は熱をしっかり逃がしてから蓋を閉める、これは『お弁当の常識』だと思っていました。それだけに、レシピ本にこの注意が堂々と明記されているのを見た時は目を疑いました。熱々のご飯をお弁当箱に入れてすぐに蓋を閉めたら、夏場はとてもお昼にそのお弁当を食べられない。そのことを知らず、そして想像もできない……どうしてそんなにも「危機感」に乏しい人が増えたのでしょうか。
 
 梅雨らしい梅雨がこなくても、秋に赤とんぼを見かけなくても。そもそも「季節」に目を向けていなければ、それに気づくこともなく危機感を覚えないでしょう。朝、コンビニで買ったおにぎりは昼に食べても平気だもの、家で作ったおにぎりを包む際の注意点を知らなくても仕方ないのかもしれません。雨が降らなければそれがやがて何につながるのか、このまま気温が上がっていったらどうなるのか……。

 「今年はまだあれを見ていない」
 「この時期なのにまるで別の季節のようだ」
 季節を大事に過ごしてきた人は気候変動に敏感です。また同時に、エコとは意識せず、当たり前にエコに取り組んでいる人も多いように思います。
 皆さんは季節ごとの雲の種類がわかりますか?季節の野菜がわかりますか?
 たまには季節の顔をしている空を見上げて、季節を感じてみてください。エコの意識はそこから芽生えていくのかもしれません。


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