所在地仙台市太白区大野田字王ノ壇 水系名取川 周囲のようす名取川と北の旧笊川とに囲まれ、たび重なる洪水で土砂が堆積し小高くなっている地域です。東に旧笊川、南に旧笊川から引いた水路(運河)があります。王ノ壇古墳は県道造成により寸断され、円墳の周りに水路の跡が残っています。 発掘調査で更地状態となった古墳上に、雷神や山神、庚申と書かれた、江戸時代の大型石碑3個と梵字石3個が倒れています。 言い伝え無数の古墳群が集中し、律令時代からの街道(奥の大道)沿いにあって栄えてきた地域で、「東平王」と呼ばれる有力者を葬った墓を「王ノ壇」といい、それが「大野田」の語源とされています。 この遺跡では、約3500年前(縄文時代)から約700年前(鎌倉時代)にかけての円墳や住居跡、水田跡が6層になって発掘され、古代から名取川のもたらした肥沃な大地を利用した稲作が営まれ、集落が形成され、権力者が登場したことがわかっています。 地元の人の話では、釜房ダムや新笊川が作られる前は洪水もあり、昭和40年代まで、この辺りには湧き水、用水路が流れ、メダカやナマズ、トノサマトンボ、山桜等の自然木が普通に見られました。石碑は円墳の上に並んで建っており、円墳の周囲の水路には水が流れ、あたりは田園地帯だったそうです。 見どころ隣接する春日社古墳では希少な皮盾などの出土品が見つかりました。現在、王ノ壇古墳付近を都市公園とする計画がありますが、さらにこれらの遺跡資料を次世代に引き継ぐため石碑の再配置や資料館を築造するよう、地元住民らが自治体に要請しています。 |
天保6年(1835年)の雷神碑 県道258号線側から見たところ 小牛田と書かれている山神碑 |