震災後の状況(2011年7月): |
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所在地仙台市宮城野区蟹沢7(枡江小学校の向かい) 水系七北田川支流梅田川 周囲のようす向小田原の後山の蟹沢渓谷を堰き止め、流水と湧き水を利用しての沼でした。与兵衛沼の周囲は水源保全林として、与兵衛沼公園に指定し、仙台市が管理しています。昔、台原の台地から流れる清水は旧小田原村の田んぼを潤し、小田原玉野と言われました。この台原から続く、グリーンベルトは宅地開発の中で徐々に狭められてきています。蟹沢渓谷の最上流は小松島の育児院周辺、堤のすぐ下には枡江小学校があり裏手は枡江の森として保全されています。 言い伝え与兵衛沼は寛文11年(1671年)4代藩主伊達綱村の頃、藩士鈴木与兵衛が自費を投じてつくった人工の沼です。綱村がその功を賞して与兵衛沼と名付けました。小田原、燕沢、新田、高砂地域に灌漑用水を供給しています。水神碑は安政2年、鈴木与兵衛の功績を後世に残すために小田原村の人たちが建てたものです。昭和4年2月15日夜30cmの厚さの氷が張り、新堤(上流にある)の水漏れも手伝って一挙に崩壊し、下流域住民は大きな洪水被害を受けました。写真の真ん中の碑はそのときの改修記念碑です。左側の碑は昭和54年の改修記念碑です。 見どころ昔は原町小学校の水泳場として指定されていて、冬季にはスケート場としても親しまれたそうです。現在は水も濁っていて氷も張りませんが、周囲にはまだ貴重な自然が残っています。 |
右側の小さい石碑が水神碑 安政2年に建てられました 釣り人もいます |