所在地

仙台市青葉区作並字元木(国道48号線を挟んで岩松旅館の前)

水系

広瀬川

周囲のようす

 関山峠の裾に建つ老舗岩松旅館の前、国道48号線に面して建立されています。
秋保温泉とともに仙台の2大温泉である作並温泉の由来を伝える碑とともに鳥居と祠を建てて祀ってあります。

言い伝え

 岩松旅館のお湯の神様でもあり、代々岩松家で土地の守護神、商売繁盛の神様として祈願し奉っている神社で、白蛇を奉っています。
養老5年(西暦721年)、今から1300年余り前の奈良時代に高野山の僧、行基が東北地方を行脚していたときに、渓流の響きとともに聞こえてきた「仏法僧」の泣き声に誘われて深い森の斜面に降り立ちました。
そこには、美しく碧色に澱む淵と勢いよく噴き出す白い湯気、これが行基といで湯の出会いです。
行基はこれを御仏のお導きと合掌し、その効能と湯あみの仕方を広く人々に教えました。これが名湯作並温泉の起源として伝えられています。
室町時代に岩松対馬尉藤原信寿(いわまつつしまのじょうふじわらのぶとし)という人が作並に住み、信寿より十一代目にあたる喜惣治が埋もれたこの名湯を開き世の多くの人々を助けたいと願い出ました。
寛政8年(西暦1796年)、藩主伊達斉村公の時にかなえられ、深山の巨木を切り倒し、茨を切り開き、渓谷に石を刻んで道を開きました。
開湯まで8年の歳月を費やしたと云われています。(境内の案内板より)

見どころ

 岩松氏は伊達藩より二口峠の裾に当たる「秋保温泉佐勘」の佐藤氏とともに「山守り」「川守り」として任命され、森林の管理や河川の管理に携わるとともに、「庄内藩」への国境を警備する「御境目守」としても活動しました。

 

湯神神社正面

縁起を記載した江戸時代の碑