所在地
仙台市青葉区八幡2丁目11−24
水系
広瀬川支流へくり沢
周囲のようす
土橋通を南下して、北六番丁のところで覚性院丁通に入ると石切町通との角にひっそりと建っています。不動尊の裏手を「四ツ谷用水」(今は暗渠)が、不動尊の左脇10m位のところ「へくり沢」が広瀬川に向かって流れていました。
不動尊と右裏手の「春日神社」とのちょうど中間辺りが「四ツ谷用水」と「へくり沢」が交わるところで、「へくり沢」は四つの谷を越えて東に流れた「四ツ谷用水」の最後の谷です。また、「へくり沢」に架かった石切橋」の跡が不動尊の筋向かいにあります。
言い伝え
仙台城の築城時に上方より招かれた石工たちが、ふるさと滋賀県近江の琵琶湖の「瀬田」を偲んで祀ったものといわれています。
仙台に招かれた石工頭は大阪築城に関わった泉州堺(大阪府)の黒田八兵衛、辻本七郎兵衛、鹿野清左兵衛、能島与右兵衛らという。
慶長8年(1603年)、築城移転の祝宴のさなか、伊達政宗は石工たちに踊りを所望したという。
躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから、誰言うともなく「雀踊り」と名付けられました。
以来「雀踊り」は仙台市石切町(現在青葉区八幡町)に居住する石工によって踊り継がれ、戦前までは毎年、政宗公が建立した大崎八幡神社の祭礼に奉納され、また石切町にある瀬田谷不動尊の祭礼でも奉納されるのが通例となりました。
(現代を生きる伝統芸能)
見どころ
石切町には当時から連綿として続いている石屋さんがあります。
この不動尊の隣のお宅も石屋さんです。
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