公益財団法人 みやぎ・環境とくらし・ネットワーク

私たちは、緑と水と食をとおして暮らしを考え、地球と地球環境の保全に寄与するために、多くの市民、知識人、協同組合、企業、団体で作られた環境NGOです。

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「水の神さま」を探せ【旧サイトの内容です】

神さまの正式名称

淵上蛸薬師瑠璃光如来堂(ふちがみたこやくしるりこうにょらいどう)
愛称:「蛸薬師」 (淵上というのは薬師堂が元所在した地名)

所在地

仙台市太白区長町4丁目2番地12号
 JR長町駅を西口に出て旧秋保街道を100m程西進して路地を北に折れて、300mほど歩くと東側に石の鳥居と広い敷地がみえてくる。駅から徒歩10分。
周辺地域文化拠点施設:太白区文化センター


流域主河川 : 広瀬川

 旧奥州街道の河原町から広瀬川を挟んだ対 岸(南岸)の長町宿に所在する。
広瀬川中流 域から下流域に至る中間点で、利府・長町断 層東側に位置し、太古は海浜であった。  


神様の種類

 御前仏

 

祭神

 薬師如来 (印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与(よ)願(がん)印とし、 左手に薬(やっ)壺(こ)を持つ。)

 
     

効験

 津波よけ、疣(いぼ)の治癒、難聴回復、家内安全。 3.11の津波災害以降、参拝者は2〜3倍 に増えたとのこと。
 如来堂には「蛸の絵馬」や、蛸足の吸盤を モチーフとした円盤がバウムクーヘンの様に 紐で柱に吊り下げられており、「難聴回復」等 を祈願したもの。
 並立する舞台八幡は明治になって平岡村舞台より遷宮、合祀された八幡神社で鎮守の神 様でもあり、演芸人のお参りも多い。

 
     

神様の形式

 舞台八幡神社と並立して如来堂の堂宇が建 てられている。また右手奥には「比良(ひいら)岐(ぎ)大明 神」も配置され、大きな馬頭観音碑も建てら れている。
 この神社は最初に平岡村西浦の地に比良(ひいら)岐(ぎ) 大明神が先にあり、そこに江戸時代に平岡村 淵上より蛸薬師が移ってきて、「蛸薬師堂」と して定着、その境内に平岡村舞台より八幡宮が 合祀された歴史を持つものと考えられる。

 

大きさ・広さ

 幅50m、奥行き100mほど境内には社務所と町内の集会所が一緒に建てられてい る。
 街中にしてはかなり広い敷地で川向に立地する河原町の秋葉神社や同じく洪水伝承を 持つ古城神社よりも数倍の敷地を持つ。

縁起・由緒・伝承

 蛸薬師堂の正式の名称は『淵上(ふちがみ)蛸(たこ)薬師(やくし)瑠璃光(るりこう)如来堂(にょらいどう)』で、『淵上(ふちがみ)瑠璃光(るりこう)薬師堂(やくしどう)』とも呼 ばれる。
 伝承会の立て札によれば、建武2年藤原籘房(どうふさ)が北山の巌蔵(いわおくら)に入り僧となりとなった時に京都西洞院の蛸薬師如来に願をかけて勧請(かんじょう)したもの。
 別伝によれば昔洪水があった時、長町に古くから開業している川熊商店の裏の池に蛸に吸い付かれた薬師様が流れ着いてそれを祀ったものとのこと。この堂宇の一帯は昔、海であったところで、歴史研究家の飯沼定義氏によれば、この洪水は慶長津波が侵入してきたものと紹介している。

様子

 境内のイチョウの大木を市の名木には指定こそされてはいないものの樹齢200〜300年。
 今では旧国道より一筋外れた西側の路地に面して、前面を高い建物で隠されているが、人家が少なかった江戸時代では木立に囲まれた静かな村の鎮守様ではなかったかと思われる。一方、宮司さんはいないが敷地内には社務所があり、人が常駐して管理しているのは、商人街に立地していたために参詣客も多く、かなり繁盛していたためと思われる。

水の清浄さと量

  現在は広瀬川よりかなり離れた場所となったため、目に見える水辺はなくなったが、伝承の「川熊商店」は現在の宮城厚生協会長町病院付近にあり、谷部に位置していたものと思われる。戦後までは、長水堀もあり、ザル川がとうとうと流れていた。前沢、二つ沢といった清澄な沢もあり、池もあった。
 ここに、蛸が流れ着いたということから、かつて蛸薬師近傍は小高い丘陵地であったが、縁辺部周辺の地盤レベルは低く、洪水の常襲地帯であったと推量される。

見所

 境内には、江戸時代の荷物の 運搬の動脈となる伝馬の宿駅を 偲ばせる馬頭観音の大きな石塔 を拝むことができる。
 近傍には「大町太物問屋中」を 挟んで左に「京都飛脚中」、右 に「江戸飛脚中」と刻まれた石 碑も観ることができ、名取川上 流よりの材木、薪炭を陸揚げし 「郡山堰場」と共に、仙台藩の 流通基地として栄えていた。

 

祭、維持

 ㈰管理人が社務所に宿泊して維持管理している。
 ㈪1月14日の裸参りには80人程参加し、今年のどんと祭には3,000人程の参詣人 があった。
 ㈫祭では午前中に子ども会から100人ほど参加して蛸神輿を長町駅辺りを曳(ひ)き廻し、午後は青年会から大人が50人ほど参加して曳き廻している。


一次情報の入手先

「仙台湾の歴史津波」(飯沼定義氏著)