公益財団法人 みやぎ・環境とくらし・ネットワーク

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執筆■江刺家由美子  2009/5/12up
太陽はエネルギーである。
   「太陽はエネルギーである。
地球はそのエネルギーを受けて
風が起こり、樹が育ち、水が流れ
私たちの暮らしを支えている。
石油も、石炭も、天然ガスも
太陽のエネルギーに育てられた太古の植物が、
長い年月の中で生成されたものだ。
46億年前に地球が誕生するずっと前から
太陽はエネルギーである。」
(なぜ、日本が太陽光発電で世界一になれたのか/NEDO BOOKSより抜粋)
 

 太陽ははるか昔から、生命に恵みを与える存在でした。全ての動植物を育むエネルギーの源。太陽に感謝し、神として崇めてきた歴史を持つ地域は世界各地に多数あります。

  太陽の光をエネルギーとして「電気」に変える「太陽光発電」という言葉は、もう決して耳新しいものではありませんね。住宅街を歩いている時や電車に乗って外を眺めている時、屋根に太陽光発電システムが載っている家を見かけることは珍しくありません。

 「太陽はずっと昔からエネルギー」…であることは疑いようのない事実なのですが、「太陽光発電」という観点で考えるとその歴史は約170年ほどです。思ったよりも長い?それとも短いでしょうか?始まりは1839年、フランスのエドモンド・ベクレル博士が太陽光から電気エネルギーを取り出すことを初めて可能にしました。しかしこの時点ではまだ現在の太陽電池のようなものはなく、「発見」というレベルに過ぎませんでした。ここから現在のような太陽電池ができるまで、なんと100年以上の年月を要します。1954年、アメリカのベル研究所が太陽電池を開発したのを受け、日本でも多くの企業が太陽電池の開発に着手し、1958年日本電気株式会社がいち早く商品化に成功します。
 
  しかし、そこから普及に至るまでにはいくつもの大きな壁がありました。技術面のみならず法の整備も必要でした。というのも、1980年代の電気事業法に従うと、太陽光発電システムを家の屋根に設置するために通産大臣(当時)の認可が必要で、さらにシステムの運営と維持のために電気主任技術者の資格を持つ者がいなければならなかったのです。これでは、家に設置する度にいちいち大臣の許可と資格を取らなければなりません。1990年に太陽光発電に関する規制が緩和されたことは、普及拡大に大きな影響を及ぼしました。
また、システムの価格も普及を阻む大きなネックとなっていました。1994年当時、1kwあたりの価格は約200万円。現在でも「安い買い物」というわけにはいきませんが、安価な原材料供給の技術開発、高性能太陽電池の開発、量産可能な低コスト製造プロセスの開発により、1996年には約120万円(1kwあたり)に、そして2005年には約66.5万円(1kwあたり)という大幅なコストダウンに成功しています。
 このような状況を乗り越え、日本は太陽電池の生産量や太陽光発電システムの導入量が一時は世界一になるに至りました。
 現在、世界一の座は他国に譲ったものの、今年1月から住宅用太陽光発電の補助事業が再開され、再び導入の勢いを増してきた太陽光発電。住宅用以外にも大規模発電所の設置計画が進んでいたり(東北では青森県八戸市や宮城県七ヶ浜)、携帯電話の電源になるフィルム型太陽電池の開発が進んでいたりとこれまで以上に私たちの生活と深く関わってくるでしょう。
 「太陽はエネルギーである」。この言葉が、ますます重みを持って感じられる今日この頃です。
 
  そういえば、先日新聞の4コマまんがでこんなお話がありました。
同級生の家がソーラーパネルを取り付けるとのことで、「エコを考えるのは大切だよね」と話し合った主人公の女の子が、家に帰ってお父さんに「うちもソーラーパネルをつけよう!」と提案します。それに対してお父さんは…
 「うちのエコは早寝早起きだ。さっさと寝ろ。電気消すぞ。」
 子どもにも大人気のこのマンガに登場するほど、太陽光発電は世間に浸透しているんだなぁとしみじみ感じました。
それにしても、お父さんにも一理あり。早寝早起きだって、太陽の恵みに感謝した立派なエコですね。

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