公益財団法人 みやぎ・環境とくらし・ネットワーク

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4月5日  気仙沼市

 気仙沼市では、地元で活動している菊地ひろ子さんに、気仙沼市の避難所と主な被害地域を案内いただきました。

 気仙沼は海沿いの低い場所と、台地や山が入り組んですぐそばにあるため、同じ地区でも 家もあり普段と変わらなく見える場所・家はあるが床上床下浸水で片づけている場所・家が流されがれきが散乱している場所・津波ですべてが流され何もなくなってしまった場所と分かれていました。
 その分、高台の大丈夫だった家に避難している方や、避難所に行った方などお互いに協力しあいながら暮らしている様子が見えました。
 ガソリンスタンドも海沿いの倒壊したところ以外は開いており、行列もありませんでした。物資なども大分入り、生きるためには大丈夫だそうです。細かなところはまだまだですが、仮設住宅の建設も始まっていました。

 海沿いの港では、船着き場には燃えた船、市場は津波ですべてが流れ、冷凍会社も津波で泥をかぶっている状態。漁業の復興にはそれらすべてが整わないといけないため、復興は先がみえないとのことでした。

それに伴い、仕事を失った方々も多く、気仙沼の根幹産業の漁業の復興が、気仙沼の復興になりそうです。
4月5日気仙沼市の様子 
避難所入口 避難所の出入り口 避難所のごみ分別

入口に手書きの横断幕が掲げられていました。いろんなメッセージや絵がとても心強いです。
廊下や階段にもいろんなメッセージが張ってありました。

感染症予防のため、消毒・うがいが呼びかけられていました。医師も支援にきているので、しっかり管理されているみたいですね。入口には泥を落とすための雑巾もぴっちりと敷かれていました。

手前の生ごみがポイントですね。水きりをして集められています。避難所ではカップ麺があったり、配給を残してしまう方もいるので大事だと思います。台には飲み物・お菓子もあり物資はありそう。
仮設住宅建設中 情報発信

避難所のすぐそばでは仮設住宅が建設中でした。家があることが職を探すにも大事ですよね。建築資材が足りないとの報道もあり、作業ご苦労様です。

河北新報気仙沼南専売所の藤田新聞店さんが出している「ふれあい交差点」という情報新聞。河北新報の折り込みとして入っているそうです。両面1枚ものですが、地元ならではの情報が載っていて、すごく役立っているそう。まだテレビも見れない方が多い中、情報を細かに発信しているのはとても重要ですよね。すばらしい!
海沿いの街道 リアスシャークミュージアム 落ちているゴミ

メインストリートは大分土砂が片づけられ、車も通っていました。まだ道の両脇には山積みになったがれきがありましたが…。この片づけに来ている業者の方も懸命に働いているんだろうな

目の前に漁船が!
海沿いの道にはいろんなところに船が打ち上げられていました。

左のごみは、土をかぶっているようなので震災時に流れ着いたものだとは思いますが、右のごみ袋は土もかぶらず新しそう。
誰かが紛れるだろうとゴミを捨てていったのだとしたら、絶対にやめてほしいですね。
海に浮かぶ焼けた船 残った漁船が航行 海を見守る鳥居

気仙沼では地震・津波の後に大きな火事が起きました。海に浮かぶ船も真っ黒になっていました。

地震の時には外海にいた漁船でしょうか、6・7隻ほどが港に停まっていました。家族とその船のそばで話している乗組員も。生き残った船はあるものの、それを受け入れる状態には…

猪狩神社。鳥居は残っていますが、下の道神明崎浮見堂は崩れています。夜はライトアップされ、観光名所となっていた場所でした。神社は大丈夫なのか分かりません。
町の状況 45号線沿い 大谷海岸

片づけられているのはメインストリートだけ。そこから入ったところはまだ車やがれきが手つかずの状態でした。

沿岸部はこのような風景が続いていました。もともと家があったのかどうかさえ定かではありません…。もっとも被害を受けたところは、がれきもなく、あとかたもないのだと知りました。

観光名所でもあった大谷海岸。気仙沼線は線路さえありませんでした。
どこかツバルの海岸に似ているような気がします。。